bitomos担当 ナガイ部長のプロフィール
こんにちは。bitomosの企画・運営責任者のナガイです。本来僕は裏方なんですが軽く自己紹介をさせてもらいますね。
なぜ、bitomosのようなメディアを作ろうと思ったのかの経緯と、簡単な僕のプロフィールなんぞを書いていきます。
Contents
bitomosのきっかけ
2012年あたりからキュレ―ションメディア(特定の切り口でインターネット上にある情報を選定し、公開する)のようなサイトが目立つようになってきました。当初はまとめサイトとか、特定の話題を整理したようなキュレ―ションメディアが小規模で運営されていましたが、そこに膨大な資本力をもった大手企業が参入し始めたんです。
Googleで検索してみると、検索結果の1ページ目には大手各社のキュレ―ションメディアの同じような記事が乱立するようになり、そういった状況にうんざりされた方も居たと思います。
そんな大して特徴もないような記事コンテンツで検索結果が埋め尽くされていた2016年に事件が起こりました。「Welq(ウェルク)問題」です。
検索上位を独占するのが目的だったキュレ―ションメディアは、他社のサイトをパクってリライトをしたり、専門知識を持たないライターによる医学的な記事などを量産していました。結果、誤った情報が拡散されていたり、著作権や肖像権を無視した記事が当たり前のように公開されている状況が問題視されましたね。最終的に、ウェルクを運営していた大手IT企業のDeNAは自社で運用していた10メディアサイトの閉鎖を余儀なくされました。
これを見て「やばい!!」と思ったのか、同じようなやり方で運営していた多くのキュレ―ションメディアは、大きく方向性を変えるざるをえなくなりました。
市場の拡大や成長期に起こるモラルハザード(責任感が欠け、倫理観の欠如した状態で成長のみにフォーカスしてしまう状態)がキュレ―ションメディアでも起こったということです。
元々、僕自身も2016年のはじめぐらいからキュレ―ションメディアの構想はあったんですが、この事件が勃発したことで、
✓どういったメディアを作るべきか?
✓他社サイトと差別化できる部分は何か?
を深く考えさせられるきっかけになりました。
bitomosのコンセプト
by bitomos
そういった世の中の動きがありながら、bitomosは2016年12月に運営を開始しました。本格始動は1月からです。
今現在(7月8日)で1日5000~6000PV程度のメディアに育ってきました。7ヶ月の期間で月間15万~18万PV程度のメディアになっていますので、ある程度順調な推移といっていいと思います。
ウェルク問題以前のキュレーションメディアとは
bitomosは、運営するにあたり他社のキュレーションメディアと差別化を図っています。
検索されるキーワードは、その人が知りたい内容であることは間違いないんですが、それだけに特化してしまうとGoogle検索したときの上位記事はすべて似たり寄ったりの記事で埋め尽くされてしまいます。
検索上位の1位~10位は、ウェルク問題が起こる前だと、ほぼ似通った内容の構成になっていて、如何に「ライバルサイトの記事よりもキーワードに関連した内容を網羅していているか?」が重要視されていました。
例えば、「泣けるオススメ洋画」というようなお題であれば、10撰よりも15撰、15撰よりも20撰と情報があればあるほど良いとされ、ライバルサイトの記事よりも、情報がより多い記事が評価されていました。そこには実際に執筆しているライターの想いが欠如しているように感じます。。
それはもはや読者目線というよりは、Googleのアルゴリズム目線の記事であり、その手法で書けば検索上位を占めることができるので結果的に内容が同じような記事コンテンツが多くなったってことですね。
こういった記事だと運営側に委託されているライターはマニュアル通りで、ライバルサイトから情報を集めてリライトしつつまとめ直せばいいだけです。そのような記事はマニュアルさえあれば誰でも書けるんですよね。
誰でも書ける記事が大量に出来上がり、ライターの価値はどんどん下がります。ライターの代わりはいくらでもいますし、単価はギリギリまで叩かれるわけです。
そんな状況で書かれた記事は何の想いもこもってないですし、ライター自身も自分の書いた記事に思い入れも達成感も持てないですよね。ひたすら流れ作業のような味気のない記事ができあがるだけで、僕としてはそんなメディアは面白くないなぁって感じていました。
bitomosが重視しているポイント
そこで、bitomosではライターの経験から培った独自のフィルター(考え方・視点)を重要視しています。ライター1人1人が今まで歩んできた人生があって、趣味趣向があって、同じものを見ても感じ方や捉え方が違います。
今までの生きてきた経験がその人の物事を捉える価値観のフィルターになってるので、たとえ同じキーワード、同じ題材で記事を執筆しても、コピペのような記事になることはありません。ライターそれぞれの独自性の強いオリジナルの記事になるんです!
ただし、あまりに自分の意見を出し過ぎると、それは独りよがりでただの個人ブログに成り下がってしまうので、注意しないといけない点です。偏り過ぎず、でもそのライターの経験が活かされた記事になるように執筆してもらっています。
そもそも本来はライターという仕事はクリエイティブなものです。文章で人に伝えるスキルというのは上達すればするほど重宝されますし、WEBで稼ぐ基本的な能力であり、習得してしまえば誰にも盗られることのない自分だけの武器です。
特にbitomosで携わってもらっているライターは、どこに行っても通用する文章スキルを日々磨いていることにもなりますので、ライターという仕事に誇りを持って取り組んでもらいたいと思っています。
ナガイはこんな奴
僕自身のプロフって誰が見んねん…
…と思ったんですが、とりあえず簡単に経緯を書くことにしました。これはそこそこ恥ずかしいですが…。
bitomosに携わってる人にも書いてもらっており、スタッフさんに向けて僕の経緯を知ってもらうことでのメリットもあると思いますので、ざっと書いておきますね。笑
出身
by bitomos
三重県の松阪の方で生まれ高校まで過ごした後に、大学に行かずに福井県の方へ就職しました。今も福井県に住んでいます。
三重県は奈良県の県境なので方言は関西弁の部類です。山と川しかなく、コンビニは今でもありません。
そんなWEBとは無縁の環境で育ちました。
家族構成
嫁さんと子供3人の5人家族です。嫁さんは同い年で、子供は女小4、男小1、女1歳。
by bitomos
これは書くかどうか迷ったんですが、長男が少し言語というかコミュニケーションに難があったりもします。
いずれそういったことにも仕事として携わりたいと思っていますが、ついつい同い年の子供と比べて落ち込むこともしょっちゅうです。ですが、そういった状況であるからこそ考えることや気づきもあるので、悪く捉えるんではなく前向きに捉えようと思っていますね。
発達障害という症状は想像している以上に理解のない人が多いので、「変わってる人」という個性の範囲内で捉えられがちです。まあ、確かに個性であって病気ではないんですが、周りの理解は大事だなって凄く感じますね。
性格・特性
負けず嫌い。競技思考が強めなのでウザがられます。
なんでも勝ち負けに拘る傾向がありますね。最初は平静を装って見せないようにしてるけど内心ではすぐに仮想敵(ライバル)を作って、そいつに負けたくないとのめり込むところは良くも悪くも…微妙な性格です。
よくあるシチュエーションとして、学校のマラソン大会などで「一緒に走ろうや」と言いながら、途中で置いていくタイプが僕です。勉強してないよと言いながら、ガッツリ勉強してくるタイプが僕です。試合前に全然体調悪いと言いながら、万全にしてくるタイプが僕です。
そう。嫌な奴なんです。
ただ、僕がもしそういう気質じゃなかったら、今のビジネスにしても結果はでてないと思うので、どちらかと言えば良い方に機能してるのかなぁと考えています。
もう少し補足しておくと…ビジネスにおいてだと、仮想敵(ライバル)という場合もあるけど、すでにその分野で結果が出てる人に注目します。
あまりにもやってることがイメージできないほどのレベルではなくて、自分より少しだけうまくできてる人ってとこがミソですね。そして、その人のやっている作業や考え方のポイントをまずはできる限り忠実に真似をして作業していきます。
やったことの結果に対してどこが良かったのか悪かったのか分析しつつ、改善を繰り返してまたやってみる。そのうち自分の中で軸ができてくるので、得られたデータを元に仮設を立てて改良していくと、いずれ結果は出るという感じですね。
このことを改めて意識したのは「今でしょ」で有名になった林修先生の言葉でした。
努力は裏切らないというのは不正確。正しい場所で正しい方向で十分な量なされた努力は裏切らない。
この言葉に非常に感銘を受けて、成功確率が高くなる進め方として方向性やゴールをざっくり意識しています。うまくルーチンの流れができてきたら、PDCAサイクルみたいにグルグル回せば、よほど間違ってない限りゴールに近くなっていきます。
by 労働法ナビ
基本的にbitomosについても、参考にしてるサイトや人がいて、イメージしやすい成功事例を知ってることで、自分なりに計画を立てて進めているというのもあります。もちろんうまくいかない場合もあるので、撤退ラインは事前に想定する必要はありますけどね。
その他の性格については、基本的に社会不適合者ですね。自分の興味あることにだけ集中力を発揮するタイプなので、会社に就職した際の僕の戦闘能力はゼロです。
あとは僕は褒めて伸びるタイプです。褒められないとエネルギーが枯渇してスネだします。でもほめ過ぎると調子にのるので、バランスが必要だったりもします。笑
趣味
1つのことにしか集中しないタイプなので、特化型だと思っています。前述したように、仮想敵(ライバル)を作ると、そいつに勝つことに集中します。それは趣味でもビジネスでも根本的に同じですね。なんとなくやるっていうより、明確な目的を持ってやり遂げるって感じなので、遊びの範囲を超えて殆どの時間をそこに割こうとします。
過去には釣りにハマったり、テニスにハマったり、スノーボードにハマったりといろいろしてますが、同時並行にすることはあまりなく、いきなりスパっと辞めてその都度ハマったものにのめり込みますかね。それこそハマってる時は他のことを一切シャットアウトしがちだったりもします。笑
現在はロードバイクが趣味になってますが、当初はダイエット目的だったのが、途端に競技思考になりレースに出始めて、たまにロード仲間と一緒に走ったりすると必ず競争になります。相変わらずロードバイクでもウザいと思われてます。www
さすがに、年齢も42歳なので疲れすぎると仕事に影響するのと、腰や膝にダメージが残るのでレースは辞めました。今は日課として毎日2時間ほどポタポタ乗るだけにしています。
by bitomos
ただ、ロードバイクはほどよく乗ると仕事効率が非常にはかどるので、集中力や考えをまとめるのには最適です!自分のビジネスアイディアはほぼロードバイクに乗っているときに湧き出たといっても過言ではないですからね。
あとはオシャレが好きなのと、食べることが好きですね。アルコール全般が好きで晩酌は欠かさずしてます。それと人としゃべることも好きです。
座右の銘
✓ピンチはチャンス
✓正しい場所で正しい方向で十分な量なされた努力は裏切らない
✓継続は力なり
✓エッセンシャル思考
✓守破離
ナガイの経歴(今に至る経験)
一応、現在までの僕の人生曲線を描いてみました。
by bitomos
こうやって見ると30過ぎまではまったく自分の考えで人生を歩めていません。苦笑
「独立期」からピンチを経てやっと自分で考えて取捨選択した人生を歩んでるって感じですね。
人より劣っていると思い込んでいた小中高時代と社会人
子供の頃は人よりもかなり劣っている人間だと思い込んでました。特に小学校は忘れ物が酷くて、常に立たされてましたね。親が教育熱心でもなく勉強しろと言われたことがなかったので、勉強をする概念そのものが欠如してました。
勉強しないのでテストの点数も悪い。クラスで断トツ悪いので自分は頭の悪いダメな人間なんだと思い込んでいましたが、そもそも勉強してないので成績が悪いのは当たり前だったわけですね。
そして意外と衝撃だったこととして、風邪で学校を休んだ小学校6年生の時に男の中で僕だけが副班長になったときがあったんです。他の男子は全員班長になっていたのに、僕だけ唯一女の班長と組まされて副班長ですよ。
今ではどうでもいい出来事なんですが、「井の中の蛙」的な世界観のこの頃の僕には大きな衝撃で、「お前は劣っている」と先生に見限られた気分でしたね。
そういうことも含めてずっと劣等感を持っていた幼少期だったんですが、それでも中学校、高校はそれなりに勉強することを覚え、友達にも恵まれて比較的楽しく過ごしました。
ですが将来何になりたいのかというビジョンが全くなかったために、高校卒業後言われるがまま親戚の会社に就職することになります。人の言われた通り、疑いもせず歩く人生でした。
何も考えてなかった社会人
友達が比較的多い環境から、何も知らない福井県にきてからというもの、あんなにおしゃべりだった僕は仕事場と自宅を行き来するだけで全く人としゃべらないという時期を過ごします。
そして、やりたくもない仕事をやっているということもあって仕事にも意欲がなく、やらされてるだけで自分から創発することもないという、なんとも勿体無い期間を過ごしました。会社にとっても自分にとってもマイナスでしかないですね。
そして、あまりに友達がいないことから何とかしなければいけないとテニスを始め、地元のテニスクラブに所属してから今の嫁さんと出会います。3年ほどお付き合いしたのちに、同い年の嫁さんと29歳で結婚。今思うと将来性のカケラもないような奴とよく結婚してくれたなぁと不思議でなりません。
嫁さんはその当時はかなりモテモテでして「なんでお前に???」ってよく言われたもんですが、僕自身は結婚願望がなくてマリッジブルー的なところもあったんすよね。
自分で考えて行動するということ
結婚を機に、会社の社長から独立の話が出ました。正直、独立する気はまったくなかったんですが、話の流れで独立することに…。
そして、嫁さんが30歳になり、そろそろ子供を…いう流れになり、子作りするもなぜかできない。あまりにできないので、産婦人科に診てもらうことになり、自然に妊娠できる確率は99.9%もないと言われてしまったんです。
何度か治療するものの、妊娠する気配すらなく、治療費がかさむ日々が続いてしまいます…。
世の中の価値基準
当時、独立したてで収入は安定せず、将来的な不安が常にありました。かといって、自分の学歴では新しく就職しても大した収入にもならないわけです。まぁ、高卒で当時30歳ですからね。当たり前です。
建築士や施工管理技士の免許を取得するものの、車の運転免許と一緒です。その業界では持ってるのが当たり前で、就職の書類選考するための要素でしかありません。もう学歴社会の世の中の評価基準内で努力、行動しても先が知れていると悟るわけです。
ここまでの人生で将来に対して具体的にアクションを起こさなかったわけですが、「このままではホントにヤバイ」と真剣に考えるきっかけとなりましたね。
こういった人生の大きな選択を決める状況は、いつもピンチの顔をしてやってくるんですが、常にそうです。逃げ出したいほどツライ現実を突きつけられない限りは、人間(特に僕)は現状を変えるような決断はなかなかできないから、このピンチに今でも感謝してます。
そこから僕の人生は今までなんとなく歩いてきた道を止めて、自分が進む道を自分で切り拓いて歩んでいくことになります。
そんな簡単にうまくいくわけない
ある日、本屋で手にしたのが投資の本でした。
学歴もない僕にはピッタリだと、投資をはじめることにしたんです。不妊治療費を捻出しなければいけないのに、投資をするなんてのは、今となっては負ける奴の典型的な行動ですよね。売買は短期であればあるほど感情のコントロールが必要で難易度が上がるのに、それを知らずに感情のままに「金欲しい」マインドでやるのは投資ではなくギャンブルです。
案の定、夜も寝れないほどチャート画面が気になるようになり、必勝本などを買っては損を膨らます日々が1年続いたわけですな。不妊治療費を捻出するどころか、なけなしのお金をトータル150万も溶かし、死のうかと思った暗黒時代でした。
そして、ほぼ同時期に自分の仕事にも波があり治療費負担がきつくなってきたのと、たとえ子供が授かってもその先の将来に自信が持てず、一旦不妊治療を断念してもらうことにしたんです。
子供を産むということを考えると、特に女性はどうしても年齢的なリミットも考えなくてはなりません。嫁さんも不安に思っていたはずですよね…。暗い空気が家中を包み、二人の関係もギスギスし始め、崩壊の足音がヒタヒタと聞こえ始めていました。
しかし、そんなドン底の時期に、嫁からなぜか妊娠したと報告を受けたんです!不妊治療しても自然では絶対無理といわれていたのに!
正直に言うと、報告を受けた時は素直に喜べなかったです。将来に対しての不安で息苦しい気持ちでいっぱいになり、「嫁さんと子供への責任と将来について」という重しが背中にずっしりと乗っかかっているようでした。
転機
1年間投資をやった末に、ほとほと自分に向いてないことを痛感した僕は方向性を変えることにしました。
個人がインターネットを使って直接ホームページやメルマガを使って販売できる仕組みが、ほぼ無料で構築できる世の中に変わってきていました。
もともと、ヤフオクがサービスを開始したぐらいから売買してお金を得るという経験はしていました。安いものを仕入れて高く売ったりと、お小遣い程度で毎月5万程度の利益があったりしていたんですが、本格的にはやってなかったんですよね。投資よりこっちの方が向いているのではないかと思い、WEBを使った販売の仕組構築を自営業をやりながら少しづつ学んでいったんです。
ほどなくして、自分が運営していたメルマガから報酬が発生するようになりました。
1ヶ月1万円。
ちょっと希望が持てた瞬間でした。何とかなるかも…。と思いはじめた矢先、インターネットの凄まじさと大いなる可能性を知ることになりました。
その翌月15万。さらに翌月は80万となり、そのまた翌月には200万を超え、単月で500万を売り上げるまでに急成長したんです。
このとき32歳ぐらいだったかなぁ…。ここから紆余曲折を経て、売上なども良い悪いの激しいアップダウンを繰り返し、WEB事業の酸いも甘いも経験して今に至ります。
負けず嫌いはWEB事業をするようになっても発揮し、仮想敵(ライバル)を作っては、お金を稼ぐということにフォーカスしつつ、収入が無くなったりという経験も何度もしましたね。
同じ事業が通用しなくなったこともあり、その都度ピンチという形で自分の至らない部分が露呈されては、その課題をクリアすることでピンチを脱出してました。ピンチを乗り越えるたびに経験値とスキルは自分に残ってくるので、だんだんと自信が持てるようにもなってきて、気付けばもう10年以上この業界でいます。
なんかやってみたい
ほとんどの事業は自分ひとりでやってきていたわけですが、最近になってその考え方も変わってきました。なにかチームで一つのことをやってみたいと思うようになってきて、bitomosというキュレ―ションメディア事業もその一環です。
今まで多くの外注さんを雇い、お仕事を依頼してきましたけど、ずっと継続してお付き合いあるような方はまだそんなに多くないです。SOHOを利用して外注業務をしている方はスキルがあっても、対価自体は安く、いくらでも替えがきく存在でもあるので、雇い主としては労働力という意識が強い場合が多いです。外注さんの顔もプライベートも知らないし、執着もあまりしないんですね。
ただ、色々な外注さんと一緒に仕事をしていく中で、外注さんはさまざまな問題を抱えてる方も多いことも知りました。情に流されることはしませんが、bitomosを通じて自分の経験を活かして記事を書いてもらい、その価値によってbitomosに利益がでてくるのであれば、そこに貢献してくれてるチームで分かち合い、さらなる新規事業へ発展させていきたいと考えています。
bitomosは自分の新たなチャレンジでもあるんです。
ここまでの半生を振り返ってみて
やっと人生半分を過ぎたぐらいなのでまだまだですが、それでもここ10年ほどは自分にとって濃かったです。
この世の中は学歴社会だと思い込んでいたので、勉強してこなかった自分の人生はもう詰んだなと20代のときには妙に諦めていたものです。そのころ自分の残り60年ぐらいの人生はどうせ大したことないだろうと期待も行動も起こしていませんでしたしね。
ですが、その常識だと思っていた価値観は全く違っていました。僕が知ろうともしなかっただけで、世界は可能性に溢れていたんです。学歴で勝負しないという選択をし、会社に頼らず自分で稼ぐと決めた瞬間から、今までの当たり前だと思っていた世界が大きく変わっていったんです。
自ら考えて選択し、ひたすら行動した結果が、僕のこれまでの人生の中では一番大きな出来事です。
一方で、それ以前の自分の歩みを否定ややり直したいとも思っていません。改めて振り返っても今までの経験で無駄は1つもなく、剋された過去の体験が今の自分の行動や結果に大きな影響を与えています。
むしろ、その経験がなかったら今がないわけですし、ここから今(現在)の考えや行動が、さらに先の自分の人生を決めていきます。
きっとまた不安定になることもあるだろうし、試練は次々と訪れるはずですが、そうなってもまた0から這い上がれる自分であるように、課題を持って1つ1つ取り組んでいきたいと思っています。
bitomosをよろしくお願いします
僕自身まだまだ未熟者で、bitomos自体も運営しながら学ぶべきことがとても多いです。bitomosに携わってるスタッフは本当に優秀ですし、関わるすべての人の支えがあって運営できているメディアでもあります。
この先、bitomosが大きく育っていって、数多くの人の目に触れ、bitomosのファンがどんどんと増えていくようなメディアを目指していきます。
また、それぞれの記事はbitomosライターの独自のフィルターを通して、書かれていますので、同じ題材でも他のキュレーションメディアの記事と、bitomosとでは趣向が違うはずです。
bitomosライターのプロフィールも掲載していますので、記事が面白いと感じたら是非とも合わせて読んでみてください。プロフィールを見る前と見た後では、きっと記事の捉え方や感じ方が違ってくると思います。
またライターのプロフィールから読者さんと同じ価値観や共感できる部分も見いだせるかもしれません。親近感や魅力を感じてもらえたなら、是非まめにそのライターの記事をチェックしてもらえると嬉しいですね。
bitomos編集部プロフィール
そのライターの経歴や性格を知れば、今後どんどんbitomosの記事を読むのが面白くなるかも!?この記事ではライターそれぞれの自己紹介と、記事を彩るゲストキャラクターたちを紹介していきます。あなたのお気に入りのライターが見つかりますように♡