bitomosライター chihiroのプロフィール
bitomosライターのchihiroです♪
今回は「自分」について皆様に知って頂きたく、筆者の生い立ちやライターになるまでの経緯なんかをお話しさせて頂こうと思います。正直…。全然明るい話ではないかもしれませんし、今までの経験があまりにも非現実的な事ばかりでピンとこないかもしれませんが…。
「こんな人が記事を書いてるんだなぁ」という参考程度にして貰えればうれしいです♪
chihiroの生い立ち
筆者は、四人兄妹の次女で両親と祖父母の8人家族でした。筆者の年代では珍しい「大家族」でしたね。
両親は共働きで、そのころは祖父もまだ働いており、一切の家事と育児は祖母が行っていました。と言うより、両親は私たち子どもにはあまり興味がなく、休日になっても母と二人でふらっと出かけた切り帰って来ない事なんでザラ。パチンコとSEXに明け暮れてたイメージがあります(笑)
そして四人も兄妹が居ると、親も馬が合う合わないとかがあるんでしょうね。筆者は何故か両親からの風当たりが悪い。「お前は兄妹の中で一番の出来損ないだ」と常に言われていましたし、何か欲しいものがあって相談しても「お前に買ってやる価値なんてない」と言われて終わっていました。
かと思えば、他の兄妹にはちょっとお高い習い事させたり、何かと可愛い可愛いって言っていたので、子どもながらに不服に思ってましたよ。そんなどうしようも無い親でしたが、そんな事が全く気にならないぐらいたくさんの愛情を祖父母が与えてくれていたので、筆者は幸せでした。
その頃はいつも「本当はおばあちゃんのお腹から産まれたんだよね?」とか、「おじいちゃんとおばあちゃんの三人で暮らしたいー!!!」と訳の分からない駄々をこねて困らせていたものです。(笑)
小・中学校は疎外感を感じ、自分の価値を見つけようとした
「祖父母さえ居れば他に何も要らない」と強く思っていた筆者でしたが、やはりなぜ自分は両親に愛されないのだろうかという事をよく考えました。顔が可愛くないから?性格が悪いのかな?お父さんやお母さんにとって私は邪魔なんだろうか。私が居なければみんな幸せになるのだろうか。
色々な事を毎日考えていましたね。ずっと「価値がない人間」「要らない」などという言葉を浴びせられていた筆者は、「なんとか価値ある人間にならなくては」と必死でした。テストで100点を取って褒めて貰おうとしたら「そんなもの当たり前だろ」と突き返され、特技もたくさん見つけましたが、両親には見ても貰えない事が多く…。
子どもながらに必死で自分の存在をアピールしてきましたが、何をしても振り向いてくれない両親。小学校高学年にはもうほとんど諦めました。自分の価値を見出す事をしなくなってから自分に残ったものは「疎外感」それだけ。
寂しくて、悲しくて、息が詰まりそうなくらい苦しい毎日でした。それでも祖父母には心配かけまいと気丈に振る舞う毎日に、少し疲れも感じていたのを覚えています。
▼筆者が愛を求め続けてたことについて以前詳しく書きました。興味のあるかたは読んで見て下さい。
愛されたい願望が強い原因は愛を知らないから?愛を求めて何が悪い!早めに社会へ出て働きまくった
そんなこんなで、筆者はあまり大人が好きではありませんでした。途中、筆者は道を大きく踏み外し、悪い事にもたくさん手を染めてしまい…。高校へ進学するかどうかという事について母親と話すことがあったのですが、「あんたの高校進学のお金はないから行かせてあげられないわ」と言われました。
筆者も別に高校へ行きたいとは思っていなかったので、特に不服もありませんでした。とりあえず筆者は通信制の高校へ進学し、すぐに社会へ出て働き始めました。それが当時15歳。
そこから筆者は毎日が楽しかったです。仕事は本当に大変でしたが、頑張った分だけの対価を給料として貰える喜び。どんな事をしても褒められなかった・認めて貰えなかった筆者にとって、それが初めての「受け入れて貰えた」という感覚。本当に嬉しくて嬉しくて、働きまくりました。
お金を稼ぎ親に貢ぐことで、自分の存在価値を保とうとする
働くようになった筆者に両親は次第に優しくなりました。「今月ピンチだから少しお金手伝ってくれる?」という言葉を頻繁に投げかけてくるようになった母親。
筆者は嬉しかったです。初めて親に必要とされた!やっと自分の価値を認めてくれたんだ…と喜びにふけっていました。
お金を稼いでたくさん渡せば、もっと必要としてくれるかもしれない!そんな期待を胸に込めながら寝ずに働いた10代。今思うと背筋がぞっとしますね。喜んで親に貢ぐ高校生世代…。もしも今身近の10代が同じようなことをしていたら、ビンタしてでも止めてやる!と思いますけど(笑)
なぜ母親がいつもお金がないのか…その理由は、闇金地獄にハマっていたから。だから筆者が助けてあげないと!と懸命に母親を支えてきた(要するにお金を貢いできた)のです。その頃はそれで良かったんです。だって筆者が欲しかったのはお金ではなく、愛だったから…。
そしてこんな間違った生き方を覚え始めたと同時に、最愛の祖母が突然死。祖母の死は今でも受け入れらない自分がいます。
若くして結婚・離婚を経験
筆者はその後若くしてできちゃった結婚。それでも大好きな人だったので、幸せになれると思ってました。でも若い者同士の結婚には、元旦那の親からの理解が得られず…。今自分も親になったので「当たり前だろ!」と思いますが、その当時は若かったのもあり理解が出来ませんでした。
ゴタゴタした中での結婚だったので完全に見切り発車。発車したのはいいけど、妊娠周期が経つにつれ元旦那は不安が膨らんできたようで、出て行ってしまいました。
それが妊娠8カ月のこと。もうどうしていいのかわからなかったですよ!「もうすぐ産まれちゃうんですけど~?」と毎日泣いていました。
何とか話し合った末、関係の修復を目指しながら出産し子育て開始。しかし、一度開いた溝は埋まらず、子どもが一歳の時に離婚。
育児疲れと離婚調停疲れで筆者はぐったり。実家に帰りたいと思いましたが、誰もそれを受け入れてはくれず、1人でアパートを借り、営業職に就職し、子育て奮闘の日々を送ることになったのです。
自分が親となって知った無償の愛
シングルマザーになった後の生活は苦しかった
シングルマザーになってからは本当に大変でしたね。経済的な部分はもちろん、肉体疲労は限界をいつも超えていました。息子の夜泣きが30分置きだったので、フルタイムで働く筆者には酷でした。「これは神様が与えた不眠不休の刑か!?」と、会ったことも無い神様に対して怒りと不満で溢れかえってました(笑)
だけど…。子どもって可愛い!!こんなに大変なのに、あの笑顔でどれだけ心が救われたか。毎日「ママー!ママー!」とべったりの息子。どんなに怒っても私を求め続けてくれる息子に対して、「無条件に自分を愛してくれる」事がよくわからず毎日驚いてました。
愛らしくもあり、憎らしくもある我が子。筆者は両親に価値が無いと愛されなかったのに「なぜこの子は無条件に私の愛を欲しがるのだろう。そんなの自分勝手じゃないの?」なんて酷い考えすら持っていたことがあります。
そして筆者はこう思い始めました。「そもそも愛と言うのは、価値や条件なんて必要ではないのかもしれない」。この時点ではまだ疑心暗鬼の状態。ここから筆者の感じていた「常識」や「価値観」が変わっていくのです。
▼ここでは書ききれませんが、筆者は子育てについても頭を抱える事が多いです。背景にはこのプロフィールがあってのことですが、一時期本気で息子を可愛く思えなくなったことがあります。詳しくはこちらの記事に書いていますので、時間のある方はチェックしてみて下さい。
子供が可愛くないと感じる…子育ての限界を感じているのは自分だけ?母親に対して違和感を感じ始めたのは26歳になってから
離婚してからの母からの請求は止むことがありません。「今月1(万円)いいかい?」などと、もう借り慣れてる感満載の請求です(笑)一人で子育てに励む日々は時に孤独を感じるもので、母親に対して「またか…」と思う自分がいても、これ以上一人(孤独)になるのが怖くてお金を渡していました。
大人になってからも
「あんたは離婚もしたんだし、幸せになる資格なんてないんだよ」
「自分の幸せなんて考えるのはおかしいこと」
「自分の子どもと親の為に尽くすことが一般的だし、常識なんだからね」
と日々言われていたのですが、そうなんだぁ…程度にしか思わず、疑問も感じたことがありませんでした。でもここから自分の中の母に対する違和感を拭えきれなくなってくるのです。自分はこんなにも息子が愛おしくて仕方がないのに、この人は実の子である筆者のことをこのように愛おしく感じたことがないのだろうか。
自分は愛する息子には自分を犠牲にしてでも幸せにしてやりたい!と思うのにな…。私が間違っているのだろうか?など、自問自答を繰り返すのでした。
全てがひっくり返った瞬間
そして遂に筆者の疑問や違和感が明らかになる日が来たのです!数年前、筆者は子宮頸がんが見つかり入院することに。もちろん息子の預け先がないので、母親にお願いして預かって貰いました。内心息子を預けた事で「いくら請求されるのだろう…」とハラハラしてたのですが、意外にも渡したお金は使っておらず。
のちに親戚から電話がありました。「もう大丈夫なのかい?お母さんからお金もらったかい?」と言われて、(あれ…。誰にも入院のことは話してないんだけどな…。母親が話したのかな?)と思いつつ「いい年して親からお金もらうはずないでしょう(笑)もう大丈夫だよ。」なんてケラケラ笑う筆者。
「いや!そうじゃなくて、お母さん治療費足りないって言うから渡したんだよ。」という親戚。「え…。そんなの知らないよ」と話した瞬間、電話越しにお互い青ざめたのが伝わりました。
母親は親戚に私の病気をネタにお金をかき集めていたのです。もちろん筆者は何も知りませんし、一円たりとも貰っていません。
その後、どんどん色々な事が明らかとなり、母親は焦る。どうにか筆者の口を塞ぎたい。そして取った行動は「うちの娘がうつ病になって頭がおかしくなっている。わけのわからない事を言うかもしれないけど、信じなくていいよ」と親戚や友人関係に言いまわったのです。
世間では精神異常者の娘をもつ可哀想な母親。そんな娘の世話が大変で仕事もままならないので、家計が厳しい。だからお金を貸してくれないかと言えば、数人が同情してお金を渡す…。という輪をかけた悪行。
もう時は手遅れで、筆者は多くの人の中で「精神異常者」であり、兄妹もそれを信じ込んでいるので耳も貸してくれません。この時に失ったものはあまりにも大きかったです。
悲しみを通り越して、何も感じなくなってしまった筆者。その日一日を生きてるだけで精いっぱい。でもこの時点で全ての謎が解けました。そして母親の呪縛から解放されたのです。ボロボロになった筆者を親友が助けてくれ…。筆者は人生を一からやり直そうと決意しました。
幸せは望んで良いものだと初めて知る
そんなこんなで人生最大の悲しみと苦しみを味わった筆者。そんな筆者を見兼ねて、親友は根気よく筆者と向き合ってくれたのです。ここで初めて「私も幸せとか願ってもいいのかな?」と思い始めました。正直言うと、現在でもまだ心の中で「いや、幸せというのは望んでもいい人種が考えることだ」と感じている自分がいます。
でもここからは順調に人間らしく歩むようになってきました(笑)あんなに死にたいと思っていたのに、今は無添加食品なんかを漁って、健康について日々勉強しているのですから。明日なんて来なければいいのに…と、夜もなるべく目を瞑らないようにしていたのに、今は老後の人生すら楽しみです(笑)
それもこれも、親友という存在が居なければ今の筆者はありません。すごく辛い経験をしたのと同時に、筆者の人生に光が見えるように…。
ライターに踏み切るまで…
どうしようもない人生も誰かの役に立てるようなことはないかと考えた
こんなカッコいい見出しを書いてみましたが、実際に筆者が書いた記事が誰かの役に立っているかはわかりません!でも1Viewの閲覧が増える度に、誰かが筆者の言葉に耳を貸してくれたとポジティブに受け止めております。
筆者はきっと普通では経験出来ない事を経験してきたと思います。だからこそ、見える世界が少しだけ皆さんと違うかもしれません。だったらこの視点で見える何かを皆さんに伝えたい!そう強く感じたのです!
でも実際にどのように言葉を発信して行くべきなのかを考え、とりあえずブログを開設してみたり…。そこでたまたまこのライター募集の仕事が意外にもたくさんあるんだ!という事を知ります。筆者の胸は期待と不安で膨らみました。
もちろんですが、執筆経験もない、これといった役に立ちそうな資格もない、それに加えてものすごくPCに詳しいわけでもない。さて、どうしましょうか?と同じ募集記事を毎日眺めていました。そして半年悩んで応募してみることに。(悩む期間が長すぎた!)
bitomosライターになるまでは他のサイトのライターとして過ごして執筆してきましたが、世間を騒がせたウェルク問題で筆者の仕事が一時危うく…。
でも人生とはうまい事出来ているもので、この時にbitomosに出会ったのです。今筆者はナガイ部長や堀越編集長という素敵なボスに巡り合えてとても感謝していますし、同じライターさんもみんな本当に良い人で…。
まさか、自分のやりたい仕事を出来ているだけではなく、素敵なメンバーに囲まれることになるとは…。三年前の筆者からは想像もつきませんでしたね。生きててよかった!!!!
chihiroがライターとして目指す先
はい!またまたカッコいい見出しを作ってみましたよ♪さて、波乱万丈の人生を乗り越え、今はやってみたい・やりたかった仕事(今のライター)をしている筆者です。ですが、今はまだスタート時点に立っただけ。
これからも日々先輩ライターさんからたくさんの事を学びながら、執筆していきたいと思っています。筆者が目指すこの先は…。やはり「一人でも多くの人の心に刺さるような記事を書きたい」が一番!
何かを調べて記事を書くのは簡単。誰でも出来るかもしれませんね。だからこそ、その一つのテーマに沿って筆者が感じた事、思う事…など素直に感じた事を記事に盛り込んでいきたいですし、実体験したことなどをリアルに綴っていきます。
同じサイトのライターでも、それぞれが得意な事・好きな事が違います。そのライター独自の良さを活かして執筆できる場がbitomosです!なので筆者の人生をリアルに表現することで、誰かの心に刺さるような記事を書けるように頑張ります!!
ライターとして多くの人に伝えたい事を発信して行きたいと思います!
今回は、chihiroの生い立ちなどを書かせていただきました!とっても暗い話ばかりで申し訳ありませんが、これがchihiroを作り上げて来た人生です。この経験がなければ今の筆者はいないでしょう。
そして…。これからはこのbitomosのメンバーにたくさんの刺激と癒しを貰いながら活躍していけたらいいな~なんて思ってます♪こんな筆者ですが、応援してくれると大変励みになりますので、どうぞこれからもbitomosをよろしくお願いします♡
bitomos編集部プロフィール
そのライターの経歴や性格を知れば、今後どんどんbitomosの記事を読むのが面白くなるかも!?この記事ではライターそれぞれの自己紹介と、記事を彩るゲストキャラクターたちを紹介していきます。あなたのお気に入りのライターが見つかりますように♡