50代の女性の生き方・布作家“早川ユミ”さんの自然と共に暮らす生活
女性が50代を迎える時、人それぞれ生活する状況はさまざまでも、ふと今後の生き方・人生について考えるときではないでしょうか。
手のひらから砂が零れ落ちるように時間があっという間に過ぎていたということを実感するのです。
このまま、何もなさずにある日、死んでいくのかなとふと思いました。
最期に、私は何ができたのかと自身に問う瞬間が見えるようでむなしいのです。毎日の暮らしにおわれ、この先、目の前にあるのはかわらぬ毎日の続きで、生涯をかけて取り組んだといえるものが何もないのです。“発言小町”より引用
50代というのは、自分の老いていく姿を現実的に感じる年頃でもあるのです。
そんな50overの将来についてを考える方々に、50代以降の人生をイキイキと過ごしていらっしゃる女性をご紹介していきたいと思います。今回ご紹介するのは雑誌“天然生活”や“うかたま”に現在連載をお持ちの布作家“早川ユミ”さんです。
Contents
布作家“早川ユミ”さんとはどんな人
早川ユミさんは1957年生まれで現在61歳。こう言っては失礼かもしれませんが、とても可愛らしい方ですね。肩書きは“布作家”です。日本の各所を廻って小物や洋服などを作るワークショップを開催したり、ご自分の作品や生活に関するエッセイの出版や、それに伴う作品の展覧会など幅広く活動されています。
早川さんは自著に“子供の頃、衣服を買うということは滅多になかった。ひと昔前までは着るものは、誰かが誰かのためにちくちく縫うものでした”と記しています。
早川ユミさんは大学のゼミでとある工作学校に通ったことがきっかけで“ものづくり”に魅せられてしまったそうです。その後、染め織りを学ぶのですが、自分の染め織りに限界を感じ、インド、タイ、インドネシア、ネパール、ベトナム、ラオスなどの国々やその山岳民族の村を旅しました。そこで今もなお自らの手で紡ぎ、手で織り、自然のあらゆるものを利用して手染めされた美しい布や衣服に出会い、早川さんの言葉で言うと“こころ奪われてしまった”のです。
カディという布との出会い
そして早川ユミさんはインドのカディという布に出会います。このカディという布も手紡ぎ手織りで作られる布で、肌触りが素晴らしく、この布の成り立ちについて知った早川さんはカディを“私のこころの布、私の礎となった布”と称しています。カディについて早川ユミさんが自著に記しています。
早川ユミさんの感じた豊かさ
早川ユミさんはアジア諸国を旅する中で、それぞれの国にそれぞれのかたちの豊かさや幸せがあると感じたそうです。自分たちの住む土地に根をはるように、畑を耕したり、自然からいただいた恵みを工夫して、着るものや身の回りのものを自分の手で生み出していく豊かさもあるということに気づいたとか。そして自分もそういう生活をしたいのだと思ったそうです。そのような気づきから、早川さんは“大地に根づく布作家”となったのだと思います。
早川ユミさんのくらしかた
早川ユミさんは、陶芸家のご主人と高知県の山奥で畑を耕し自給自足の生活をしています。そんなお二人の生活に憧れて、海外からも手伝いを希望して来る人もいるそうです。そんな早川ユミさんの生活とはどのようなものなのでしょうか。
衣服は“ちくちく”手縫いする
よく早川さんは“ちくちく”と手縫いを表現しています。“ちくちく”と洋服・農民服・もんぺ・バッグ・ぞうきん・下着・布ナプキンまで手作りします。
“ちくちく”は早川さんにとって、祈りや瞑想のようでもあり、おしゃべりでもあり、表現方法の一つなのだと思います。早川さんが言うように、衣服は人間の体の一番近くにあるものです。着る人を想いながら手縫いで作られていく服には自然と、何かあたたかなもの・早川ユミさんの想い・思想が込められていくのでしょう。
筆者は自宅で仕事をしていますが、その室内着に悩んでいました。スウエットパンツ?ジーンズ?スカートはちょっと動きにくい。大きめのスーパーに行くとよく、余りこういう言い方はしたくないのですが“おばさん”が着るような服がつるされています。でもそれは嫌でした。
そんなとき早川さんの作る“もんぺ”ならば自分が好きな民族衣装の生地など使って自分の気に入った“もんぺ”を作ることができるし、それは筆者にとってお洒落な“もんぺ”だったのです。
例えばそれが雑巾であっても、布巾が古びてそれを雑巾におろして使うよりも、カラフルなお気に入りの布で“ちくちく”されたぞうきんを使って床を拭く方が確かに楽しさが違います。早川さんは“ちくちく”が好きで好きで、それが仕事になったのだとおっしゃっています。
早川さんは、雑巾で家の中を自分の心の中を磨くようにふきそうじすると言います。ふきそうじは“ものづくり”の根本に通じるものがあると感じているそうです。
自然の恵みで布を染める
早川さんは、野山から色々な種類の草や実を採取してそれを潰したものや、大地そのものの泥で布を染色するのだとか。染色の色止めにも、薪を燃やした灰から作った灰汁を使用したりと、全て自然のものを使っているそうです。
上記の写真は“柿渋”で染めた布で前掛けやかばんを作っている写真です。早川さんの手が土を触って仕事をする人の手に見えました。
味噌や豆腐も自分で作る
ご飯を伝統食として考える早川さんは、その相棒ともいえる味噌を毎年手作りしています。家できちんと発酵させた味噌は生きていて、その生きた無数の乳酸菌や酵母が人間の体内を巡り、健康な身体を作るからです。残念ながら市販の味噌は殺菌のために加熱処理されるので乳酸菌や酵母が壊れているものも少なくありません。
また大豆からにがりを使用したお豆腐も手作りするそうです。すると同時に“おから”も出来るので一挙両得だとか。手作りした豆腐は2,3日で痛みやすいのに、市販の豆腐は何故あんなに長持ちするのか考えると心配になるとおっしゃっています。
うめしごと、そして保存食づくり
早川さんは“うめしごと”と称して、梅雨の合間に梅の木に登って(!)梅をもぎ、“梅干し”“梅酒”“梅ジュース”などを作るそうです。そのように“うめしごと”をしながら、お子さんが小さかった頃、初めて梅に楊枝を刺して手伝う姿を思い出したりするそうです。
果実酒→あんず酒、すもも酒、さくらんぼ酒、びわ酒
ジャム→文旦ジャム、あんずジャム、ブルーベリージャム、びわジャム ふきみそ、くりクリーム
漬けるもの→らっきょう漬け、みょうが漬け、ぬか漬け、しょうがの梅酢漬け、アンチョビ、塩豚、梅びしお、等。
紅茶づくり
早川さんは紅茶も作ります。自分たちで小さな果樹園を作った際に、棚田にした石の間からお茶の木が生えてきたのがきっかけだとか。
緑茶も紅茶も同じ木で、発酵させたかどうかの違いだけなので、自分で作ろうと思えば無農薬で紅茶を作ることが出来ます。枝の先の小さな茶葉を摘んで、よく揉み、発酵すれば完成ですが、決して楽な作業ではありません。しかし新鮮なお茶の葉を摘んで作った紅茶は、ご主人もとても気に入っていらっしゃるそうで、そう思われていると紅茶をまた作ろう、お茶の時間を大切にしたいと思うそうです。
小さな養蜂家
早川さんは小さな養蜂家でもあります。家の近所のご友人がはちみつ採取しているのを教わって夢中になったそうです。早川さんはミツバチの社会を見ながら、ミツバチは次の世代を大切にし、みなで分かち合って子育てをしていると感じているとか。ミツバチは豊穣な大地に咲く花から蜜を集めます。不毛な土地には巣を作りません。あの小さなミツバチが農業にも敏感であると学ぶことも多いそうです。
小さな畑に種をまこう
早川ユミさんは突き動かされるような衝動にかられて、ご自宅の小さな畑を耕し“種”をまきはじめたそうです。初めはなんだか嬉しくて土の上で踊りだしたくなったとか。種がどんどんと芽をだし、ぐんぐん育ち、そして野菜を収穫して食べる。採れたての野菜は甘くて美味しい。結果として畑をどんどん広げていきました。
種は野菜となり、人間がそれを食べ、食べたものが体を作り、野菜の切りくずなどを堆肥にする。そしてまた種をまく。そうして人間が自然の循環の一部となることを良し、とされているのだと思います。
果樹を植えよう
果樹を植えること。いつか木が大きく育ち花を咲かせ実がなるのを見ることは、早川さんにとって大きな楽しみのようです。そのために太陽の光に感謝し、雨も木が根から吸収して成長する恵みの雨なのだと実感するようになったとか。木に成った果実は早川さんの家族を育て、そしてそれをついばむ鳥や動物たちをも育てます。もぎたての果実にかぶりついたときの美味しさは格別だとか。早川さんの夢は生きものを育てる森を作ることです。
作ることは生きること
早川ユミさんにとっての自給自足
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