陰陽師・安倍晴明のスキルを知る★話題のパワースポットなら晴明神社
京都のパワースポットと言えば、数ある中で最強と言われて、人気のスポットとなっているのが晴明神社です。平安京を守り、実在した陰陽師として文献にも残されている安倍晴明がお祀りされています。
陰陽師・安倍晴明の不思議なスキルはあまり知られていないかもしれません。不思議な力があるというだけではなくどんな力があってどんな伝説があるか知ってみると、晴明神社を訪れた時には感じ方も変わるかもしれません。
フィギュアスケートの羽生結弦選手もそのパワーに魅了されている一人です。ここでは陰陽師、そして安倍晴明についてご紹介します。
陰陽師と言えば安倍晴明
陰陽師はたくさんいます。そして、現在にも存在しているのを知っていますか。その中でも陰陽師と言って思い浮かべるのはどなたでしょう?インスタの画像に安倍晴明の肖像画がありました。
その肖像画の中に「式神」も描かれています。式神とは陰陽師が操る精霊で、陰陽師の命令に従い不思議な術を使うのだそうです。
この肖像画は毎年9月のお祭りの時しか目にすることはできないと言われているものです。その代わり、この肖像画を元に作られた像が晴明神社の敷地内に置かれています。
この像は、当神社が所蔵する安倍晴明公の肖像画を元に作成されました。晴明公が、衣の下で印を結び、夜空の星を見て遠く天体を観測しておられる様子をあらわしています。引用元:清明神社公式サイト
陰陽師を知るなら夢枕 獏原作本
陰陽師・安倍晴明を主役とした小説『陰陽師』シリーズは、陰陽師、安倍晴明など大人気になるきっかけとなったとされています。陰陽師・安倍晴明に関する映画や漫画、TVの特集なども、元はこの夢枕獏原作から参考に作られています。
陰陽師が話題になったマンガ
陰陽師とは
飛鳥時代以降の日本で設けられた官職の一つ。中国を起源とする陰陽五行思想に基づいて陰陽道があり、それを活用して律令規定を維持・運営するために「陰陽師」という専門職があった。引用元:コトバンク「知恵蔵」より
陰陽師が所属する陰陽寮の仕事
●暦作り(今でいう、仏滅や大安も決めていた)
●占い(国に関係する天災や政変など様々な事を占う)
●天文(天体観測・気象観測)
●時刻管理(水時計で時間を測り、時報を鳴らす)
●特殊な歩き方で邪気を鎮めるものは現在のお相撲の「四股(しこ)」として残っています。四股を踏むことで土俵の邪気を払うと言います。
●地鎮祭もその一つです。明治時代以前では陰陽師が行っていた「地鎮祭」も明治政府の元では、1867年大政奉還で「陰陽寮」の廃止のため、神主にその役割が移りました。
陰陽師・安倍晴明誕生
安倍晴明について
安倍晴明(あべのせいめい920年頃~1005年)没85歳。当時としては異例の長生きです。晴明とは一体どんな人物だったのでしょう。代表的なものをご紹介します。
安倍晴明は出世欲が強かった人
晴明はとても出世欲が強かったと言います。晴明の父は政治には関与できない下級官僚だったため、自分は自分の力でのし上がっていける特殊な世界は、陰陽道しかないと思い、修業を積んで陰陽師となります。
平安時代6代の天皇の側近
朱雀天皇、村上天皇、冷泉天皇、円融天皇、花山天皇、一条天皇に仕えられ、いくつもの功績を残し、求められた陰陽師です。
たった一人の天文博士
陰陽師になってからは、陰陽寮の中で一人しかなれないポスト・天文博士に50歳の頃(当時は長寿のお祝いは50歳なので遅咲きということになります)に就任し、出世していきます。
*40才の頃に天文学博士の見習いとしていたとされています。その頃、夜中に二度起きては夜空の星を観察して研究していました。
平安京を救った功績
平安時代が陰陽師、そして安倍晴明の活躍の時代です。平安京を救い最も活躍した陰陽師として後世にも文献に残っていて伝えられているのは、ほぼ安倍晴明だけという事のようです。
藤原道長の相談役
当時絶大な権力を持っていた天下人、藤原道長(966~1027年)の信頼を受け、相談役として国家の運命を左右するほどの重要な存在として扱われてました。
*当時は権力があるものほど人の恨みをかっているとされていた時代だったので、そう言う人ほど占いや祈祷の力を信じていたところがあるようです。
稀にみる長寿
晴明は当時ではとても長生き(没85歳)したことでも有名で、そのため、道長に重用されたところもあります。紺ない長生きするのもやはり何かの力があるからだろうかなどという風にも思われていたのです。
政治にも関与する存在
藤原道長が絶大な権力をもったのは長女を天皇に嫁がせたことからでした。そしてその日取りを決めたのも晴明でした。
藤原道長との深い信頼関係
道長の日記である「国宝 御堂関白記」にはたびたび晴明の名前が登場し、それだけそのつながりは密で深く信頼していたという事です。
安倍晴明の母の逸話
陰陽師の中でももっとも大きな力を持っていたと言われている安倍晴明ですが、その力を語る時に興味深いのは晴明の母にまつわる逸話です。
安倍晴明の父と母の出会い
大阪・和泉市に「信太森葛葉(しのだのもりくずのは)稲荷神社」があります。この神社が安倍晴明の父と母のゆかりの地とされています。
こちらの神社に保管されているのは、晴明の母の姿を描いた掛け軸です。その掛け軸に描かれている母の姿は一見、美しい女性の姿ですが、傍らには白い狐が描かれています。
妖術を使う狐が女性に化けている姿という事です。
狩人に追われて神社に逃げ込んだ白い狐がいました。その時に晴明の父が狐の葛の葉さんを助けて開放していく中で恋仲になって生まれたのが、清明ということです。
不思議な力が宿る「宝玉」を授かり、普通の人にはない力を持つことになります。そして晴明自身が持つ力も母から受け継いだもので、式神を人や動物に自在に変化させて操る不思議な力もその一つです。
現在、母の「葛の葉」は、信太森葛葉(しのだのもりくずのは)稲荷神社(大阪・和泉市)にお祀りされています。
安倍晴明スキル伝説
安倍晴明の時代に都にいた陰陽師の数は20人だと言われているのも関わらず、数々の文献に残っている不思議な説話は安倍晴明だけであるというのも事実の様です。
安倍晴明伝説1
安倍晴明伝説4
深刻な干ばつが続いたある年、安倍晴明は雨乞いの祭りである五龍祭を行ったところ、雨が降り、人々を驚かせたということがありました。
安倍晴明伝説5
ある時、花山天皇がひどい頭痛になり、どうしても治らないので、安倍晴明を呼び寄せ、原因を占わせました。すると、花山天皇の前世だった者の頭蓋骨が岩に挟まれている」と言いました。
実際、その場所に行ってみるとそこには晴明が言った通り、頭蓋骨が岩に挟まれていて、取り除くと花山天皇の頭痛はすぐ治ったということです。(説話集:古事談)
安倍晴明伝説6
ある日、藤原道長が自ら建てた法成寺に毎日参っていたときのこと、その日に限って飼っていた犬が門をくぐろうとした道長の前をふさぐように吠えて通さない様にしてきました。何かあると察知した道長はすぐ安倍晴明を呼びました。
すると、地面を指さしてそこを掘ってみると、呪文が書かれた土器が出て来て、もしそこを通っていたら、呪われていたと明かしました。犯人を見つけるために晴明がしたことは、紙を鳥の姿に折ること。その紙の鳥を空に放つとシラサギとなって飛んでいき、後を追っていくと道長の政敵に雇われた陰陽師のところへとたどり着き犯行がわかったということがありました。(宇治拾遺物語)
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