bitomosライター 山川聖子のプロフィール
こんにちは、bitomosライターの山川聖子です。
今回は、なんのお役にも立ちそうにはありませんが、私のこれまでをご紹介したいと思います。かなりネガティブ思考なので、読んでいて暗くなったらごめんなさい。(この辺がすでにネガ…)
では、気を取り直して行ってみましょう!
これが「山川聖子」です
両親、3歳年下と10歳年下の弟に囲まれて、私は育ちました。現在は、3歳年下の夫と、娘一人と息子2人の5人家族です。そうです、夫と弟は同い年(クラスメイトではありません)で、未だに弟は主人を「お義兄さん」とはいいません。
生まれは京都府ですが、3歳のときに父の転勤で神奈川県へ。小学校1年の冬まで社宅住まいでしたが、その社宅には関西出身者が多く住んでいて、未だに関西訛や言い回しが抜けていません。
基本的に、自分が興味を持たないことには無関心です。なので10年専業主婦をしていると、かなりのスピードで世の中との距離ができました。
褒められることに慣れておらず、ちょっとしたことでも褒められるとどう返していいかわからずにフリーズします。もちろん相手を褒めるというのも苦手で、褒め言葉に関するボキャブラリーが少なすぎることもあり、友人からは「バカにされてる気がする」と時々指摘を受けます。
他人からの評価は気にしますが、改善しようとはめったに思わないので無駄な気ばかりを使って疲れます。その為か、第一印象が悪かった人とはかなりの時間と労力を使わないと打ち解けられません。大抵は途中で諦めます。
プラマイゼロ?の人生
なんだか、不整脈の心電図のようだと思うのは私だけでしょうか。
記憶に薄い学生時代
小学1年の途中で社宅を出て、今の実家のある川崎市へと引っ越してきましたが、その時に思わぬハプニングが。これが「言葉の壁」です。
関西では、片付けることを『なおす』といい、捨てることを『ほかす』と言います。ある掃除の時間、途中で先生に呼ばれた私は同級生に
その時は数週間で収まりましたが、小学4年になって再燃。ランドセルに牛乳を詰め込まれ中で破裂していたり、ランドセルのベルトをハサミで切られ使えなくなったり、無視に悪口と、本格的ないじめがスタートしました。
同じ地域で繰り上がりなので、中学校でも同じメンバーがいます。さすがに表立ったことはしなくなりましたが、やはり空気は悪かったですね。なので、楽しいこともあっただろう小中学生時代の記憶は、ほぼありません。
大失恋の高校時代
中学生の時、飼い犬の散歩中によく顔を合わせていた方と、高校に入りお付き合いすることに。自分を好きだと言ってくれる他人がいることにびっくりだった私は、あっという間に彼にのめり込んで、ある意味依存してしまいます。
ところが、高校2年の手間で彼が不慮の事故で帰らぬ人に。一気に自暴自棄になった私は、飲み屋でナンパされるままについていき一時を過ごすといった生活を送ります。この経験が、私の貞操観念を壊したんだと思っています。
そんな日々を送る私を心配した彼の友人が、当時活動していたバンドに誘ってくれました。メンバーとして活動するうちに、他人から認めてもらえることの喜びを思い出し、夜の生活(?)からは足を洗うことができました。
人間関係が広がった二十歳前後
高校卒業後は就職を希望していた私ですが、当時の就職担当の教師と職員室で大ケンカ(またか…)したことで進学へと路線変更。しかし急な変更に対応できる学校は少なく、英語の専門学校に進学することに。
外国人講師の勉強に対する考え方はかなりシビアで、今までの「なんとかなるさ」ではどうにもならないこともしばしば。そこで本格的に勉強を始めると、講師からの扱いも変わり、対等に意見の交換ができるように。
当時コンビニでバイトしていて、レジに来て軽口を叩く常連さんの扱いに困っていた私が、いつしか楽しんでいることに気づいたんです。他人との交流に喜びを感じられたのは、今までは限られた人とだったので本当に驚きでした。そこからは、人との関わりが怖くなくなり、自分から拒絶することは少なくなりました。
頼られることが快感だった就職時代
家から自転車で5分の会社に就職し、そこに結婚して退職するまでお世話になりました。
外食産業でつかう消耗品の中間問屋だった会社で、まずは受注担当として働きました。電話やFAX、オンラインデータでくる注文をパソコンに打ち込み、出荷担当者へ指示を出すというのが主な仕事でした。
覚えが早くて仕事の飲み込みも良かったので、職場のみんなから重宝されました。徐々に受注チームをまとめるチーフになり、部署を統括する主任になりました。妊娠して来月には産休に入るというときですら、茨城にある物流倉庫への出張などで動き回るほど仕事が楽しかったです。
喜びと苦痛の無限ループな専業主婦
夫の希望もあり、産休は取ったものの復職せずに専業主婦になりました。というか今も専業主婦です。
これが本当に幸せで辛い!いつでも可愛い我が子の成長を見ていられるのはとっても幸せなんですが、常に一緒というのはある意味束縛ですよね。ほんの10分でもいいから、子供と離れて一人になりたいと思うこともしょっちゅうです。
ましてや子連れで出かけるのを面倒だと思ってしまうので、生活に変化がないんですよね。積極的に暮らさないと、本当に世捨て人のようになってしまうんです。
▽主婦の大変さをまとめたものがこちら
「主婦の鬱が問題に!?意外な原因と上手な回復方法をお教えします」
忘れられない出来事
人生のターニングポイントとも言えるかもしれませんが、今までのなかでどうしても忘れられない出来事ってありますよね。私の場合は、思い出すだけで気持ちのリセットができる最高の出来事です。
彼との半年
初めての恋。他人と時間を共有することが、こんなにも幸福なことなのかと教えてくれた人でした。3歳年上の彼は、付き合いだした頃は、大学などへの進学はせず就職をして社会人でした。
自分も新人で先輩から色々と言われているだろうに、いつも私の心配をしてくれていました。変な遠慮をして、言いたいことも言わずに我慢をしていないか、自分の言動が思いがけずに私を傷つけてはいないか、そんなことを程よく聞いてくれる人でした。
彼は交友関係も広く、いろいろな友人に合わせてくれましたが、その誰もが私に同じように接してくれました。曖昧な表現はせず、いいも悪いもはっきりと伝えてくれる人たちでした。後に聞いた話では、人間不信の私のリハビリを兼ねて、ウソや疑心暗鬼になるような態度はするなと彼から言われていたそうです。
今では考えられませんが、彼とはプラトニックなお付き合いでした。初めて交わしたキスは、彼が棺に横になる直前でした。ありえませんが、とても柔らかく、温かみのある唇だったと今でも信じています。
専門学校の講師たち
私の通っていた専門学校の外国人講師たちは、生徒を下には見ませんでした。常に自分が上位という考え方ではなく、対人間として接してくれるので、こちらがヘタに卑屈にならなければとても好意的な関係が築けました。
ただし勉強に対する考え方は、日本人のそれよりもずっと厳しいので、「学びたくて来たのになぜやらない?」と、至極当たり前の質問を真顔でされて、はじめの頃は戸惑いました。しかしこちらがやる気を見せると、「それは授業を聞いていればわかる」などと邪険にはせず、どんなに小さな質問であっても、何度質問をしても、必ず答えてくれました。
このやり取りを2年繰り返したおかげで、私は他人との意見の相違に構えることがなくなりました。意見は違うこともある。しかしそれが、私個人をすべて否定するものではなく、その違いこそが個性だと知りました。
家庭を築くということ
現状、3人の子育てに奮闘中の私ですが、その子育てについて、つい最近かなり考えさせられることがありました。
育った環境
私の母は、私が高校生になる前くらいまでは専業主婦として常に家にいました。なので、小さい頃は家に帰れば常に母がいて、食事の用意から身の回りまで、その年令に応じた対応をしてもらって育ちました。
一方主人は、小学校の高学年までは母子家庭で育ち、保育園や託児所、時に母親の働いているスナックのバックヤードで過ごすといった生活をしていたそうです。再婚して父親ができても、共働きのため常に一人だったことに変わりわなかったといいます。
育児への考え方の違い
育った環境がこうも違うと、子供への接し方の考え方も違います。
私はなるべく話をして、時間をかけてもきちんと物事を教えられました。逆に主人は、そういった時間が取れない忙しさもあり、親の意向が一方通行で伝えられるといったしつけだったようです。
当然、自分の子供にも自分がされたようにしますよね。私は専業主婦で常に子供には言い聞かせて、お互いの思いを共有しながら世話をしますが、帰宅した主人は自分の希望が絶対。
▽こうありたいと思う育児に関する考え方をまとめたものがこちら
「子育ての大変な時期って?時期によって大変さが違うって本当?【0~1歳編】」
「子育ての大変な時期って?時期によって大変さが違うって本当?【2~3歳編】」
「子育ての大変な時期って?時期によって大変さが違うって本当?【4~5歳編】」
「子育ての大変な時期って?時期によって大変さが違うって本当?【就学準備編】」
諦めるべきではここじゃなかった
赤ん坊は泣くのが仕事と言いますが、泣いている子供に「もっと泣け」と囃し立てる主人。理由は「泣けば悲しさを知り、人の痛みがわかるようになる」とのこと。
一度注意しても改善されない時は、げんこつや張り手、時に蹴ることも。「言ってわからないなら、体に教えるしかないだろう」というので、それでは恐怖しか残らないし、家畜をしつけるのとは違うんだと言ってもわかってもらえない。
言えば余計にヒートアップするので、私は主人の意識改革を諦めて、子供たちに「お父さんが怒るから」という言い方でなんとか事前に収めようとしてしまいました。しかしこれは良くないですよね。ここは、私が諦めてはいけない部分だったんです。
子供が親になったときを考える
私や主人が自分たちの家から持ち込んだものは、育った環境によってこんなにも違うんだということを実感し、私は母に相談をしました。そこで、私の両親が主人と小一時間ですが話し合いをしてくれました。
その時の話の内容は私は聞いていませんが、その後から明らかに主人の子供や私に対する接し方が変わり、最近では子供たちは「お母さんのほうが怖い」というほどです。
怖い=嫌いではないですし、常にいる私よりも、あまり接点の少ない主人を好きだと子供が言えることのほうが重要なので、いい方向に向いていると思っています。
嫁の両親からこの年になって説教を受けるなんて、主人からしてみたら本当に嫌なことだったと思います。それを受け止めて、そうそうに私たちに分かる形で示してくれた主人に、本当に感謝しています。
私に必要だったエッセンス
人生をキッカケではないにしても、ちょっとした気づきをくれたものや私を私らしくしているものをご紹介しましょう。
疑問を晴らしてくれた作家
初恋の彼とはプラトニックだったので、初めてはけっこう適当に済ませてしまいました。その後もあまりこだわりがなく、私はどこかおかしいのではないかと自分を疑った時に読んだ本です。
「食事をするようにSEXをしよう」この一文を読んだ時に、自分の疑問が一気に解決した気がしました。
恋人には好きでいてほしい、時に嫉妬もしてほしい。だからといって、彼が自分以外とデートしてもSEXしても気にならないし、私も気にしてほしくない。そう思う自分が本当におかしいと思っていた時に、この本を読んで納得をしてしまったんです。
嫌いな人や味覚の合わない人と食事しても楽しくないですよね。でも好きな人や、好みが一緒の人ならより料理もその時間さえも楽しくなりませんか?中華を食べるならこの人。イタリアンならこの人。みたいな感覚が共通する気がするんです。
もちろんこの考え方が変わっているのは自覚をしているし、現在の婚姻関係において絶対に持ち出してはいけないことなのもわかっているので、実行はしていません。中谷彰宏さんの他の書も、恋愛指南書的な存在として読んでいました。
英語に興味を持った曲
中学の時、虫食い問題でワムのラストクリスマスの歌詞が問題になりました。案外すんなり解けたことで、英語への興味がでて、後の専門学校へとつながっているのかもしれません。その時に、他にも中学英語で理解できる歌があると聞き、その中から初めて耳から入る英語が理解できた曲がこれです。
その後は色々な曲を聞きましたが、今でも必ずライブがあるといくのは「Bon Jovi」です。中でも「I’ll be there for you」は、大好きでカラオケでも時々歌います。
最近は邦楽ばかりを聴いていますが、今でも洋楽をきくのは好きです。ただ、ジャンルやアーティストというよりも曲だけに興味があるので、「glee」で録画した後歌唱シーンだけを抜粋し、しかも好きな曲だけをDVDにやいて時々見ながら踊り狂ったり(?)しています。
なんど見ても泣いてしまう映画
大抵の映画は、ラストシーンを知っていると泣けなくなるものなのですが、これだけは違います。人との関係はこうありたい、そう思わせてくれた映画です。
「プリティ・ウーマン」で、ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアの大ファンになった私ですが、この映画のサマースビーの誠実さには本当に涙が止まりません。
他にも「グリーンマイル」や「シンドラーのリスト」などなど沢山あるけど、リチャード贔屓を覗いてもこれが一番かなと思います。
なんちゃって童話作家
小さい頃から、想像や空想が大好きで、中学の頃は主に現実逃避の手段として独自の世界を妄想し浸ることもしばしばでした。その影響からなのか、専業主婦になって時間を持て余すようになり、空想癖が再発。
子供向けの童話を作っては、そういった作品に応募をしたり、ボランティアで読み聞かせをしている友人が行った先で話して聞かせたりするネタを作ったりすることが趣味に。
上記は短い実体験作品が載った唯一の本になります。あくまで下手の横好きなので、自作童話がまともに形になったことはありませんが、それでも夜寝る前や運転中の暇つぶしに子供に話して聞かせてやると、楽しそうに聞いてくれるので続けています。
料理は化学
私は家の掃除も洗濯もそれなりで済ませてしまうので、世の中の専業主婦の方に比べると本当に時間を持て余します。そんなとき、暇つぶし(?)方法の一つに料理があります。
変わった食材を買ってきて初めての料理にチャレンジするのも好きですが、あるもので「こんな味のものが食べたい」という全くの想像で料理をするのが大好きです。
なので、私の作る料理には名前のないものばかり。一般的な肉じゃがですら、じゃがいもではなく里芋が入っていたり、醤油とケチャップで味付けたりと突飛なメニューが食卓に並びます。なので、美味しいからまた作ってと言われても、同じものが二度作れないという欠点もあります。
▽そんな面倒くさがりが考えたアレンジレシピが乗っているのがこちら
「常備菜レシピを簡単アレンジして夏のキッチン滞在時間を短縮しよう!」
こんな私ですがよろしくお願いします
かなりざっくり、時にいらないくらいディープに語らせていただきましたが、私という人間に少しでも興味を持っていただけたでしょうか。
私を表す時、友人たちは
確かに女性の集まる独特のグループ感は苦手だし、「わかってよ」的なことも「いや、無理でしょ」と突っぱねるので可愛げがないとか、男らしいという言われ方はよくします。
こんな私が書く美容だのレシピだのの記事は信憑性が薄いかもしれませんが、興味を持っていただけたら幸いです。bitomosを通じて、皆さんの心を少しでも癒すことができるよう、これからも頑張ります。
bitomos編集部プロフィール
そのライターの経歴や性格を知れば、今後どんどんbitomosの記事を読むのが面白くなるかも!?この記事ではライターそれぞれの自己紹介と、記事を彩るゲストキャラクターたちを紹介していきます。あなたのお気に入りのライターが見つかりますように♡